聖徳太子ゆかりの地

法隆寺
概要
日本の歴史上、最も有名な人物の一人、聖徳太子。近年ではお札に使われていた肖像は聖徳太子ではなかったとか、厩戸皇子はそれ程有力な政治家ではなかったとか、聖徳太子は存在していなかったなど、いろいろな説があります。
いろいろと謎が多い人物ですが、明日香村や斑鳩地方には聖徳太子が建立したと伝わるお寺やゆかりの地が多くあります。
明日香村から太子道を走って斑鳩の里へ聖徳太子ゆかりの地をまわります。
お勧めの季節
通年
桜の季節は飛鳥川沿いの桜が美しいです。
・保寿院

聖徳太子の妃、膳夫姫が創建した膳夫寺の後身と伝わる。
・興福寺

585年に物部守屋が橘寺に放火した時、金堂に安置してあった地蔵菩薩が、火から香具山の頂上に逃れて行き、それを知った聖徳太子が香具山の山麓に寺を建立して地蔵を祀ったと伝わる。
・和田廃寺

聖徳太子が建立した葛木寺の跡と言われている和田廃寺はこんもりとした土塁が残るのみ。お寺の跡を示すものは見るかぎり確認できない。あまり訪れる価値ないかも・・・
・橘寺

聖徳太子生誕の地に建つ橘寺は聖徳太子建立七大寺の1つとされる。創建当時、法隆寺や四天王寺と同じ構造を持つお寺で40m近い五重塔があった。その遺構が残っている。
・久米寺

聖徳太子の弟、来目皇子が建立したと言われている久米寺。
・屏風杵築神社

太子道沿いにある屏風杵築神社の境内には聖徳太子が弓で地面を掘ったら湧き水が出てきたと伝わる屏風の清水がある。
・白山神社

屏風杵築神社の向かいにある白山神社。小さな本殿よりも目立つ聖徳太子の銅像は、太子がここで愛馬黒駒を柳の木につなぎ、平らな石に腰掛けて休憩を取ったとの言い伝えがあるので昭和5年に建てられた。
・高塚

聖徳太子が可愛がっていた鷹を埋葬した場所と伝わる高塚。大きなせんだんの木は昭和28年に台風で倒れ、切り株が残る。
・極楽寺

聖徳太子が建立したと伝わる極楽寺。
・飽波神社

聖徳太子が牛頭天王を祀ったのが創建と伝えられる飽波神社。
境内には太子が腰掛けていろいろと考え事をしたと伝わる腰掛石がある。
・広峰神社

最初の飽波神社が置かれた場所という言い伝えが残る神社で境内には聖徳太子が掘り、在原業平が休憩して自分の姿を写したとされる井戸がある。
・達磨寺

日本書紀によると613年に道端で飢えて瀕死の異人に出会った。太子はその異人に、食物と自分の衣服とを与えたが翌日、亡くなったので丁重に葬った。数日後に墓を確認してみると遺体はなく、衣服だけがきちんとたたまれて、棺の上に置かれていた。これを知った里人は、あの異人は達磨禅師の生まれ変わりと信じ、聖徳太子が自ら刻んだ達磨像を祀ったのが達磨寺の始まりと伝わっている。

境内には聖徳太子の愛犬で人の言葉を理解でき、お経を読むことができたとされる雪丸の石像が残る。
・平隆寺

飛鳥時代に聖徳太子が建立した平群寺の跡地に江戸時代に建てられた平隆寺。
・太田酒造
太田酒造
法隆寺門前の旧街道沿いにある酒造所。
主要銘柄は”初時雨”。
・龍田神社
龍田神社
法隆寺が建立された時に鎮守社として龍田大明神を祀るために建てられたと伝わる神社。
・法隆寺
法隆寺
7世紀初めに聖徳太子によって創建されたお寺。7世紀後期に火災によって焼失されたがその後再建した建物が残り、金堂や五重塔は世界で最も古い木造建築物となっている。
・中宮寺
中宮寺
中宮寺は7世紀初めに聖徳太子が母である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)のために創建したとされる寺院で、創建当時は今の400メートルほど東にあり、発掘調査により本堂と塔がある四天王寺と似た伽藍であったことが確認された。 現在は法隆寺東院(夢殿がある)の隣にあり、1960年代に建てられた本堂の中にご本尊の木造菩薩半跏像が設置されている。
・法輪寺
法輪寺
7世紀に創建されたお寺で建てられた経緯は諸説存在する。火災や自然災害で三重塔を除く建物は失われたが江戸時代に再建された。
三重塔は1903年に解体修理されたが1944年に落雷のために焼失した。当時は避雷針を戦争のために供出していた。
・法起寺
法起寺
7世紀初めに聖徳太子の子、山背大兄王によって創建されたと伝わる。三重塔は創建当時のものが残り、三重塔では日本で一番古い。
法隆寺、法輪寺の塔とともに斑鳩三塔と呼ばれている。
平隆寺周辺は細い坂道で注意が必要ですが他はほぼ平坦です。
法隆寺周辺は休日はもちろん、平日も修学旅行や遠足の人が多い時があります。
法起寺辺りから富雄川までは自転車専用レーン有り。