759年に唐からやってきた鑑真和上によって創建された寺院で、新田部親王の邸宅跡を朝廷より譲り受け、お寺としたもの。
742年に遣唐使として唐を訪れていた僧、栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意。その後の12年間に5回の渡航を試みて失敗。5回目の渡航時には失明までしていたが、753年にようやく成功し、日本にやって来た。
その後、東大寺に滞在していたが759年に唐招提寺を創建して移り、763年にその波乱の生涯を日本で閉じた。
伽藍の造営は鑑真の弟子の如宝、孫弟子の豊安の代にまで引き継がれた。平安時代以後、一時衰退したが、鎌倉時代の僧・覚盛によって復興された。奈良時代に建立された寺らしく東西の五重塔があったと伝わる。
現在も奈良時代の建物が残る、奈良を代表する寺院となっている。
金堂
ご本尊の盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像が安置されている。建物は奈良時代のものが残っている。
講堂
760年頃、平城宮の改修に伴って平城宮の東朝集殿を移築・改造したもので、内部には弥勒仏坐像を始め多くの仏像が安置されている。
鐘楼
鼓楼と礼堂
鼓楼
鎌倉時代の建物で西側の鐘楼の対称的位置に建つので鼓楼と呼ばれる。現在は鑑真が唐から請来した仏舎利を安置しているので、舎利殿とも呼ばれる。毎年、5月19日に行われるうちわまきはこの建物の楼上から縁起物のうちわが撒かれる。
宝蔵と経蔵
奈良時代の校倉造りの倉庫で2つの外見は似ているが右側の経蔵が少し小さい。
経蔵は唐招提寺創建前の新田部親王邸であった時代からの建物(米蔵)を改造したものと伝わり、日本最古の校倉造りとなっている。宝蔵は唐招提寺になってからの建物と考えられている。
経蔵は唐招提寺創建前の新田部親王邸であった時代からの建物(米蔵)を改造したものと伝わり、日本最古の校倉造りとなっている。宝蔵は唐招提寺になってからの建物と考えられている。
開山堂
江戸時代に徳川家歴代の御霊殿として建立され、1881年に鑑真和上像を安置するため現在の位置へ移築された。
その後和上像が御影堂へ移されたのち、改修工事が行われ、2013年に鑑真和上像の御身代わり像が造られ、安置された。
御影堂に安置されている鑑真和上像は毎年6月5~7日だけ一般公開されている。
その後和上像が御影堂へ移されたのち、改修工事が行われ、2013年に鑑真和上像の御身代わり像が造られ、安置された。
御影堂に安置されている鑑真和上像は毎年6月5~7日だけ一般公開されている。
開山御廟
鑑真和上の墓所。
開山御廟を囲む森は苔で覆われている。
開山御廟への道
境内にある古い社。
御影堂の瓊花(けいか)
鑑真和上の故郷、江蘇省揚州市の花。鑑真和上遷化1200年にあたる1963年に中国仏教協会から贈られ、現在御影堂と開山御廟に植えられている。開花は4月20日頃から。