概要
奈良時代に平城京およびその周辺に存在して朝廷の保護を受けた奈良を代表するお寺、南都七大寺を訪れます。
お勧めの季節
通年
・興福寺
710年の平城遷都の時に藤原氏ゆかりの厩坂寺(うまやさかでら)を現在の場所に移転し、興福寺となった。平氏の焼き討ちに遭ってほとんどの建物が焼失し、現存するものはそれ以降の再建の建物となっている。
五重塔が有名だけど三重塔もなかなか立派。
・東大寺
733年、若草山麓に創建された金鐘寺を起源とし、747年から開始された大仏の建立を始めた頃から東大寺と呼ばれるようになった。当時は広い伽藍と東西七重塔を持つ最大規模のお寺だった。
興福寺と同じく、平氏の焼き討ちに遭ってほとんどの建物が焼失し、現存するものはそれ以降の再建の建物となっている。大仏殿は戦国時代にも戦火に巻き込まれ、江戸時代に再建されたものが現在に残る。
興福寺と同じく、平氏の焼き討ちに遭ってほとんどの建物が焼失し、現存するものはそれ以降の再建の建物となっている。大仏殿は戦国時代にも戦火に巻き込まれ、江戸時代に再建されたものが現在に残る。
大仏殿内は写真撮影が可能で大仏様のお姿をカメラに収めることができる。ご本尊の写真が撮れるお寺は珍しい。
・八木酒造
江戸時代以前に創業された酒造業「横田屋」を起源に持つ歴史ある酒造所。
主要銘柄は”升平”。
・今西清兵衛商店主要銘柄は”升平”。
奈良町にある明治初期創業の酒造所。
主要銘柄は”春鹿”。
・元興寺主要銘柄は”春鹿”。
蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭にかけて創建された法興寺を起源とし、平城京遷都によって現在の場所に移転されて元興寺となった。
当時は東大寺、興福寺と並ぶ大きなお寺だったが平安時代以降その勢力は衰え、室町時代の1451年、土一揆のあおりで炎上し、多くの建物が消失した。
当時は東大寺、興福寺と並ぶ大きなお寺だったが平安時代以降その勢力は衰え、室町時代の1451年、土一揆のあおりで炎上し、多くの建物が消失した。
奈良時代創建のお寺らしく、元興寺も大きな五重塔が伽藍の東側に建てられていた。そして対となる西側の位置には小塔院という建物があり、その中に現存する五重小塔が安置されていたといわれている。五重小塔は法輪館で見学が可能。
・大安寺
その起源は飛鳥時代に遡り、聖徳太子によって創建された熊凝精舎とされる。平城京遷都によって移転され、大安寺となった。当時は広い伽藍を持つ大きな寺だった。
平安時代以降は何度かの焼失の度に再建されたが1596年の慶長の大地震でほとんどの建物が倒壊。江戸時代以降、現在の規模で再建された。
・大安寺東塔跡平安時代以降は何度かの焼失の度に再建されたが1596年の慶長の大地震でほとんどの建物が倒壊。江戸時代以降、現在の規模で再建された。
平城京に移築された大安寺は大きな東西の七重塔があった。現在は旧境内に両塔の跡がある。
・法隆寺
7世紀初めに創建された聖徳太子ゆかりのお寺。7世紀後期に火災によって焼失されたがその後再建した建物が残り、金堂や五重塔は世界で最も古い木造建築物となっている。
・勝間田池
万葉集に勝間田の池として詠まれている大池から眺める薬師寺は大和路を代表する風景。個人的には南都八景の一つである雪の日の白い若草山をバックに見る薬師寺が最高。
・薬師寺
680年に藤原京に建立され、平城京遷都に伴って現在の場所に移築された(諸説あり)。東三重塔が奈良時代の唯一の建造物となっている(2020年頃まで修理中)。
・唐招提寺
759年に唐からやってきた鑑真和上によって創建された。現在も奈良時代の金堂や講堂が残る。
・西大寺
765年に孝謙上皇の命により建立された西大寺は当時、広い伽藍に東西の塔を備えた壮大な寺だった。現在は江戸時代に建てられた建物と東塔跡が残る。
・平城京大極殿
個人的には平城京にあり、二塔を持つ唐招提寺を入れたいところです。
コースは全体的に平地でシティサイクルでも行けるかと思います。JR、近鉄奈良駅近くにはレンタサイクルも有り。
興福寺から東大寺、薬師寺から唐招提寺周辺、法隆寺は休日は人が多いです。修学旅行、遠足シーズンは平日でも人が多いときがあります。